中国古典医学への想い 永富獨嘯庵 [1]

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粟島行春著・訳註 「醫聖 永富獨嘯庵」(ながとみ どくしょうあん)(1)

前回までは、粟島先生の書かれた吉益東洞の「建殊録」を紹介してきました。今回からは、先生の「醫聖 永富獨嘯庵」を紹介しようと思います。

永富獨嘯庵は江戸中期の古法派の医師です。まずは、永富獨嘯庵の生い立ちからです。粟島先生の著を要約して書きます。鳳介こと永富獨嘯庵は、享保17年(1732年)壬子の春に、長門国豊浦郡宇部村に庄屋である治左衛門の3男として生まれます。享保の大飢饉の年です。父親の治左衛門は、人々が白米を食べているなかで、麦飯や玄米を主食とし、農民を指導し、村民の面倒をよく見る暮らしぶりであったといいます。四男二女の三男として生まれた鳳介は、「お前はきっと偉くなる」と言われて育てられます。先賢の書に異常なくらい興味を寄せ、学問にひたりきる子供でした。

3歳の頃には、2人の兄たちが寺子屋で習ったことを見聞きしながら、兄たちが忘れたことをその傍で暗記していたと言われています。5歳になると、字を兄たちに教えることもしばしばで、「宇部の神童」と呼ばれるようになります。この年には、「龍」という大きな文字を書き、人々を驚かせます。それが今に語り継がれる獨嘯庵の文字の書き初めでした。6歳になって近所の佐々木塾に通い始めます。初学者向きの「実語教」などは全て暗記しており、四書の講義を年長の者と一緒に受けることになります。しかし、この四書、「大学」「中庸」「論語」「孟子」もすぐに読破します。翌年、北宋の司馬光が著した「資治通艦」という294巻からなる大作を7日間で読破してしまいます。間もなく佐々木塾長は「もはや、この児には教えるものはなくなってしまった」と嘆いたといいます。

さて、当時の藩主・毛利政苗は讃岐守と呼ばれ、非凡な人物として知られていました。ある時、道端で本を読んでいました。そこに、讃岐守の行列が通りかかりました。この行列の前払いの侍が、道端で本を読みふけっている鳳介をみつけ、「下座をしろ!下に!下にい!」と声をかけました。しかし鳳介は、何を思ったか道路の真ん中に行って、後ろ向きに座ったまま動きません。お供の侍が駆け寄っても、鳳介は素知らぬ顔です。行列が近寄り、大もめの様子に駕籠を止めさせた讃岐守は、見れば道の真ん中に子供が座っています。「何故、予の行列を止めたのか。申し開きあれば、聞き届けてつかわそう。さもなければ、子供とて容赦はできぬ。」と、静かだが威厳のある声で呼びかけます。讃岐守と対決することになった鳳介は、キッとなって言います。「常日頃、百姓は国の宝と仰せになっている由、承っておりますが、それは本当でございますか。」この子は、逆に公に向かって質問します。「おお!よく申した。まこと相違ないぞ。」「しからば・・・」と、一段と声を強めて、「上様のお里は長府にござりまする。調布と清末は2里足らず、したがいまして、その間断なき通行で、その度に百姓たちは土下座いたしておりまする。そのため、農業が最も忙しいこの時期、百姓を困らせておいでです。百姓を困らせて、なんで宝と申せまするか。特に、この地は長府領ではございませぬ。」ぐっと詰まった讃岐守。「よくぞ申した。予もまったく同じ考えであるが、気づかなんだ。許せ。」両手を大地にぴったりつけて、頭を下げて平伏する鳳介。行儀作法は心得ているから、その小さな小僧が坐った姿は、夕陽を受けて絵に描いたように見えたといいます。

さて、讃岐守の家来への依頼も断った鳳介の心は、早くも京・大阪に向いていたのは言うまでもありません。そして、曹洞宗霊雲山という名門のお寺に引き取られますが、すぐに得るところは何もないと帰って来ます。周囲の人も、「鳳介、幼にして童心なし。」と言っていたそうです。鳳介は自著のなかで、「余、長門の西鄙(せいひ)に生まれ、畎畝の中に長ず。古人の節を慕い、聖賢の書を好む。而して寒村、師友なきを困しみ、年甫めて(はじめて)十一。東して京都に遊ぶ。」と記しています。

鳳介は、うちを飛び出していきます。いずれは旅立ちするであろうことを察していた母は、すでに旅装束を整えていました。わずか11歳の鳳介、赤間関(現下関の中心地区)の船宿に姿を表します。「大阪に勉強に行きたいので、どのように行けば良いのか状況を教えてもらいたい。」と言います。船頭が持参金を尋ねると、「青銅百文を持っている。」と胸を叩きます。船頭連中は、「たった百文で大阪まで行くつもりか。子供の考えることじゃ。」と嘲笑います。しかし、鳳介は、「子供だからこそ親がおるのじゃ。宇部村の勝原治左衛門が、このワシの親じゃ。その子供が大阪に着いたと知ったら、捨てておく親はおるまい。ワシの費用は、その親がちゃんと支払うのが道理じゃろうが、」

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「薬事日報 電子版」掲載記事より

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